気休めでも勘違いでも進めるアイテムになるならそれでいい

何かに取り組み始めた途端に
アクシデントが起きる…
そんな経験がある人は多いはず。

そういうことがあると
「お試しが来たね」なんて言われる。

私もやっと決意して
ある仕事を始めた時に
突然壁にぶち当たって
えー!となったことはある。

それでもやりたいことを続けるために
壁を乗り越えようと頑張った。

「本当にそれをやる覚悟があるのか?」
と言えるようなアクシデント、壁を
『お試し』と言うのだ。

だけど最近は
『お試し』って
ただの都合良い解釈じゃない?
と、思うようになった。

アクシデントを
お試しと捉えようが捉えまいが自由だ。
別にどっちでもいい。
でも
『お試しだ!絶対乗り越えるぞ!』
と思えるなら、それはそれで良い。

人間は何にでも意味をつけたがる。
『この世には偶然はなく、全て必然』
とも聞くし
全てのことに意味があるのかもしれない。

全てのことに意味があるなら
全てのことに意味がないのと同じだ。
どっちだっていいんだ。

意味は自分で解釈するものだから
良い悪いは自分で選べる。

『人間万事塞翁が馬』
という言葉が好きだ。

嫌なことが起きたとき
辛くて苦しいとき
この言葉を思い出せば
ちょっと気が楽になる。
束の間でも
「きっといつか良くなる」と
希望が持てる。

希望を持つって大事だ。
希望を持てなくなったら動けなくなる。

スピリチュアルは好きだけど
何でもかんでもスピに紐づけて
非現実的に生きるのは好きじゃない。

「お試し」も
「塞翁が馬」も
私が前に進めるアイテムになるなら
それが気休めでも勘違いでもいい。

結局、前に進むには
自分の力が絶対に必要だから
他人の解釈に振り回されずに
自分の判断で
地に足をつけて進むしかない。