
1年前の自分が
どんなことを考えていたのか
全く思い出せない。
手帳代わりの
スマホのカレンダーを見れば
どこで何をしていたのかは
だいたいわかる。
だけど仕事に対してどう思ってた
とか
子供とどんな会話をしていた
とか
そこまではわからない。
日記帳を少しでもつけていれば
自分で振り返ることができて
面白そうだ。
数年前に義母が他界し
若い頃に書いてたらしい
日記帳が見つかった。
夫はその日記帳を読んで
とても良かったと言っていた。
お母さんがどんな気持ちで子育てをしていたのか
お父さんに対してどんな想いでいたのか
そんなことがわかったらしい。
私が死んだ後に
子供達が私の日記を見て
「お母さん、この時こんな気持ちだったのね」
と知ったら面白いかな、と思い
簡単な日記を
いつか子供達に見せるつもりで書こうか…考えた。
でも何日か考えてみて
やっぱりやめた。
子供にとって親の日記は
有難い存在かもしれないけど
正解探しみたいなことをしてほしくないと思った。
あの時のお母さんはどんな気持ちだったの?
ああでもない、こうでもない、と
ずっと考えればいい。
本人が書いた日記を見たら
正解がすぐわかるけど
その正解を
私がわざわざ作っておく必要はないと思った。
義母は子供に見せるためではなく
自分の気持ちを整理したり
言葉にしたくて日記にしてたと思う。
たまたまそれが残り
子供達が読んだだけ。
それはそれでよいと思うけど
私はそもそも日記が続いたことがないし
誰にも読まれない文章が
書けないのだ。
この「つぶやき」もそうだけど
誰かが読むだろう、という
想定がないと文章を書く気になれない。
だから子供達に向けて
日記を書こうかと考えたけど
恥ずかしいし、やめやめ!
ということで
日記計画は中止。
でも気持ちを言語化するのは
とても良いことだし
日記とまでいかなくても
私もノートに走り書きしたりしている。
今日一番言いたいのは
日記のことではなくて
『正解』を探すのってどうなの?
ということ。
最近、多くの人は
『正解』なことしかやりたくなくて
無駄なことや失敗を
極端に避けるらしい。
でも失敗をいっぱいした方が
人間味は増すし
知識や知恵も積もる。
そもそも人生に
「正解」なんてない。
失敗も、迷いも、寄り道も
あとから振り返れば
全部、自分の人生になる。
この「後から振り返れば」が
厄介なんだけど…